続大谷翔平選手

大谷翔平選手を観るために、毎朝NHKBS1放送のMLBの野球中継を
付けっぱなしで雑事をおこなっています。
夜は大概日本野球それも阪神戦を見ています。 

今年3月に行われたWBCワールドベースボールクラシック)の影響が
私をこんなに野球好きに変えて仕舞いました。
その根源は大谷翔平選手の存在です
{野球の神様}と謳われたベーブルースを抜いたと言われる昨今、
技術より寧ろ体力の強靱さに驚かされます。
3月31日から始ったエンジェルスの試合に 一日も休まず、疲れも見せずに
各タイトルの記録を塗り替えています。凄い!!
去る12日に行われたMLBオールスター戦のレッドカーペットに、グレーのスーツで
現れた大谷選手は、もはや日本人の姿では無い、、、神の世界から来た人。
私はこの並外れた能力の持ち主大谷選手をそう崇めています。

5月中頃でしたか大谷選手が一時振るわない時期が有りましたね。
その時のエピソードが面白かったです。
1,エンジェルスのフィル・ネビン監督が「早く目を覚ませ」と言いながら、
 大谷選手のバットにコーヒーをかけた。
2.大谷選手自らバットに人工呼吸を施す真似をした。
(何れもSNSの動画で見ました。)
その効果もあってか6月の度胆を抜かれる活躍は、やはり神の子としか思えません。

さて後半はトレードの話題も見逃せません。神はどう差配されるのか?

1996年MDRT世界大会のためアナハイムに行きました。又姪の○美ちゃんが
カリフォルニア州立大の講師で居住していたので、街をを案内して貰いました。
ディズニーランドも行きました。でもエンゼルスのホームグランドがあるのは
知りませんでした。
2007年にはコロラドロッキーズのホームグランド「クアーズフィールド球場」
(当時松井稼頭央選手が所属していた)を見学出来たのに!!
アナハイムは素敵な都市です。ジャカランダのラベンダー色が大谷選手の
優しさと強靱な体躯を包み込んでいるのでしょう。

 

 

大谷翔平選手

2023年5月真にゴールデンウイークの真っ最中。
3年振りに、コロナ禍を抜けて日本中各地で人の群れの大賑わいを
TVで観ながら、本当に良かったなあと心から嬉しくなります。
2021年~2023年あの異様に束縛された年月から開放されて
皆さん満面に外の景色に溶け込んでいらっしゃいます。

私はと言えば毎日NHKBS1で放送中のMLBの野球中継鑑賞に午前中を費やして居ます。
どうしてこうなったのか?

2023年3月8日~3月21日 日本、台湾、アメリカ、開催地に20ヶ国が参加した
WBCワールドベースボールクラシック)で日本チームが日本で4試合をする事になり、
唯TVで報道される内容を横目で見ている私でした。しかしさすがに大きく騒がれている
大谷翔平」の名前は知っていたので、注目するように成りました。
試合が進む度に勝敗はともかく、栗山監督に選ばれた30人の選手達の動向が話題となり、
一種のお芝居を観るような感覚で無我夢中で試合にのめりこんで行きました。
今まで知らなかった選手の名前と所属球団名を覚えて、大谷選手との絡みを微笑ましく
眺めたり、ダルビッシュの若い頃のエピソードを少し覚えていて、あれから何年経つのか
落ち着いた紳士然とした容姿に良い生活を送ってきたのかなと想像したり。
何はともあれ大谷投手の抜群の容姿に完全に参りました。
日本人離れした長身に均整の取れたスタイル!その上に乗っかった頭が作られた様な
美形を保っている、、、
試合中もあり得ないような奇跡があちこちに起きて、神に護られてるとしか思えないような
大谷サンから目が離せなくなりました。
WBCからMLBへ。そんな訳で毎日午前中は大谷サンを観戦して居ます。

私の実父は狂阪神フアンで私が生れた時観戦に大阪へ行っていたらしく、母の恨み言で
良く愚痴を聞いていました。
そして私が結婚した相手は、阪神が負けると夕飯も食べない父に劣らないフアンでした。

或る日、巨人ー阪神戦で12対0で負けていた時の事、下で私一人夜食して居たら、
夫が二階から転げるように下りてきて、「1点入ったよ-」と笑みを浮かべて
食卓に着きました。(可愛いったらない!笑)
実父が生存の時二人仲良く甲子園に嬉しそうに肩並べて行ってましたっけ。

勤務して居たときもクライアントの90%は阪神フアンなので甲子園球場の年間予約席
を2席手に入れて皆さんに提供して居ました。
でも私はそんなに興味はありませんでした。
ところが今はエンジェルスの選手の名前まで覚えました。
大谷選手の笑い声が私の孫の声に似てるゥ!  アレ?私っておかしいかな!!
 

 

 

同窓会誌への寄稿文

旅行記「想い出はすみれ色」に寄せて。

 

大阪に在住していた姑が、嫁を「自分の卒業した鳥取県立高女の後輩から選びたい」と

同級生の友人に依頼されたそうで、図らずも私にお話があり、縁あって主人と結婚しました。

鳥取を離れて、慣れない大阪暮らしも2人の子供にも癒やされながら、徐々に慣れ親しんで行きました。

下の子が入学したのを機に、誘われるままD保険の外務員として働く事になりました。

それまでと全く異なる世界を経験する中で、徐々に馴染んで行き、退職する迄の四十数年間そこそこの成績を収めることが出来ました。

生命保険外務員の最高峰「MDRT」の会員も25回継続する事が出来ました。

世界70ヶ国の会員と交流する場所を巡る旅行が基本で、気の合った者同士がサークルを組み、年に二回、海外、国内、と仕事の合間に旅をしていました。

又会社でのご褒美旅行とか、顧客訪問の出張等、兎に角頻繁に出歩いていました。

写真が好きだった私は、その都度カメラを携えていましたから、結果アルバムが増え続けました。退職して断捨離を敢行する際、膨大なアルバムを捨てる前に記録として残そうと思いつき、「想い出はすみれ色」のタイトルでブログ作り上げました。ちょうど一年かかりました。海外は28箇所、国内では北は礼文島、南は沖縄と全て感動を貰った旅でした。

仕事をしながら自由気ままに動けたのは、1に健康2に家族の理解があってこその賜です。

海外28箇所の内米国が一番多く、六つの州を隈無く観光しました。

それはMDRT世界大会に参加して、大義名分は各国から集まった同業者との情報、知識を交換する神聖な空間を共有する目的ですが、滞在の殆どを観光に費やしました。その他

地中海帆船クルーズは景観の素晴らしさに酔いしれて、アイルランドは古代遺跡「巨人のテーブル」や、古城のホテル「アッシュフォード城ホテル」に感激し、ロシアサンクトペテルブルグエルミタージュ美術館の「琥珀の部屋」に驚愕。今は無いNYツインタワー、等々。

国内では最北端に位置する礼文島利尻島。南では天草のお宿「石山離宮五足のくつ」。

二度と行けないだろう素敵な観光地が蘇ります。

地球規模で襲われたコロナ禍も、3年を経てようやく共存出来そうな様相を呈しています。

観光客も動き始めていますが、退職してからは体調がおぼつかない今は、遠出をする事に自信が無く、旅行は過去の思い出となりました。これまで沢山旅行させて頂けた幸せに感謝です。思い出を生きる術にしている今は、未だ未だアルバムは捨てられません。

            2023年4月

         県立○○西高校近○同窓会 ○○年卒  前根 ○子(旧姓)

 

 

 

 

 

 

 

 

京都の四月


三年越しのコロナ禍もようやく静まりを見せかけています。
2023年5月8日に{五類}新型コロナ感染症として位置づけられ、
今までの様な縛りが無くなって外出しやすくなりました。
そこで早速出掛けたいのが京都。

都をどり
  
 京都市街全域が桜で彩られる4月にはもう一つ春の名物{都をどり
 が始ります。それは長い間の改修工事が終わり、7年振りに新しい
 祇園甲部歌舞練場のこけら落とし公演です。
 私は改修工事前に何回か観に行きましたが、今回の柿落とし公演は
  新しく生まれ変わった歌舞練場と久々に晴れやかな舞妓さん達を、
 是非観に行きたいと思っています。
  300年前の江戸時代に発祥と言われる舞妓さんは京都でも滅多に遇う事は
 有りませんが、祇園花見小路通りなどで見かけると嬉しくなります。
 {都をどり}はその祇園街の舞妓、芸妓さん達の日頃の舞踊芸を豪華絢爛の
 舞台に見せて呉れます。
 又別料金になりますが、別座敷で舞妓さんの点てて下さるお抹茶を
 頂くイベントもあります。
 4月1日~30日 1日3回公演、 

◎原谷苑のしだれ桜

 洛北の金閣寺からさらに奥に坂道を上った処に{原谷苑}が有ります。
 個人の所有物だそうで、4千坪の敷地に450本のしだれ桜が咲き乱れ、
 中に入ると正に桃源郷の境地に置かれます。
 個人の所有物なので入園料が要ります。
 初めて行った20年ほど前は何処か忘れましたが、バスで近くまで行き、
 そこから急な坂道をかなり歩いてとてもしんどい思いをしたので、
 次からはタクシーを利用しました。
 入園料も600円だったけど、回をを重ねる毎に上がりましたね。
 遅咲きの桜なので市中の桜が終わってからゆっくり見物すると
 良いと思います。

仁和寺」の御室桜
 金閣寺の近くにある真言宗御室派総本山仁和寺の中門に桜の林があります。
 背丈が低いのが特徴で整然と並んだ桜林の中に入ると、花びらと微かなな匂いが
 心地良いです。
 やはり遅咲きの桜なので、原谷苑の帰り道に楽しむ事が出来ます。

2月はいつしか逃げようとしています。3月も又いち早く去るでしょう。
お花一杯の季節が待ち遠しい今日この頃です。
 

 
 
 
 
    
 

市川雷蔵&大衆演劇

昨年9月に次は「市川雷蔵の一目惚れ」について書きます。と
予告しながら5ヶ月も休んで仕舞いました。
先月東京浅草で大衆演劇を鑑賞してから目が覚めた感じです。
私が大衆演劇にハマってから既に足かけ15年にも及びます。
そのきっかけが市川雷蔵フアンの延長線上にあるからです。

既に没後54年の市川雷蔵は1960年~70年台の映画全盛時代に大活躍
された大映京都撮影所の人気俳優さんです。
たまたま招待券を頂いて入った映画館で「次男坊烏」の主演市川雷蔵
を観て一目惚れ。洋画しか観なかった娯楽は雷蔵主演の映画漁りと
変わりました。
未だ20代のの若さで貴公子然と大人びた容貌がスクリーンでは変幻自在
に役を演じていらっしゃいましたが、病を抱えていらしたそうです。
映画俳優歴15年の間に150本の映画作品を残されています。
1969年7月17日フジTV「3時のあなた」司会の森光子さんが雷蔵さんの訃報を
告げられた日のことを、今でもはっきり覚えています。
それからはあらゆる手を尽くして150本の映画をカセットテープに
(当時はそれしか無かった)収集しました。

それから40年、又々大衆演劇フアンの友達にしつこく勧められ、渋々
入った劇場の雰囲気に一目惚れ!!
カセットテープとおさらばしました。
大衆演劇も時代劇物を主に上演されますが、雷蔵も時代劇スターでしたから、
出し物が同じ物が出ると、つい比較して仕舞います。
其の1 沓掛時次郎」
ラストシーンで金子を稼いで勇んで帰ってきた時次郎は殺されたお絹を
抱き起こし「お絹さん、お絹さん、、、、お絹」
最後の小さな声で呼び捨てにした気持ちの吐露が泣かせました。
一度も好きだと言った台詞も所作も無い芝居です。映画と舞台では
表現の仕方も違うと思いますが、どちらも観客の琴線ににふれるような
感動を望んでいます。
私が拘わった15年の大衆演劇界も徐々に変化していき、あと少し表舞台に
出張ってくれば良いなと思っています。
私が一筋に応援している橘大五郎座長は若干29歳で九州演劇協会会長を
担って早7年経ちました。大五郎座長の無二の親友龍美麗座長も粋心会会長
等若い役者さん達が結束して変化をもたらす時代が来ていると思います。

旅行もゴルフもそして仕事も悔いなく過ごしてきて、今は観劇に
どっぷりつかって楽しんでいます。

雷蔵終焉と大衆演劇進出の間には韓国ドラマの世界を経験しています。
次は韓国ドラマ、、かな?

 

 

 

 

 

[ひとひら、朧」


ひとひら、朧」

劇作家坪田塁脚本による{新風プロジェクト革新}第9弾目の作品です。

{新風プロジェクト革新}とは大衆演劇を広く一般に広める事を第一の目的とした
スペシャルな企画だそうで、今回東京浅草木馬館で上演された大衆演劇作品を
観劇する機会を得ました。
1月27日~1月28日
大衆演劇界の役者橘大五郎誕生日記念公演イベントが2日間に亘って行われました。

大衆演劇をご存じ無い方がいらっしゃると思いますので簡単に説明してみます。
1つの劇団は主に家族を主体に構成されて多少はあるけど大体10~20名で活動されています。
1ヶ月ほぼ毎日出し物を替えて1部ミニショー、2部お芝居、3部舞踊ショーを上演されます。。
普段は昼夜お芝居が変わることもあるのですが、この「ひとひら、朧」が2日間昼夜4回
公演されました。大衆演劇では、1ヶ月約28日間同じお芝居を2度と観る事はありません。
それが大イベントの日に4回も同じお芝居をぶつけてくる主催の劇団に驚異を感じました。

一回目を見終わった時、商業演劇とのコラボと言って良いのでしょうか演出構成を
目新しく感じましたが、ストーリーが読み切れませんでした。
配役   武家の娘   宝海大空(ゲスト))
     弟の家庭教師 橘大五郎
2回目でやっと内容を把握出来て、全編に流れる「願わくば桜の下で」の曲が
胸に染み渡ります。

翌日の3回目はゲストが変わり、昨日の余韻を残す作品を見比べる思議となりました。
配役  武家の娘    橘大五郎
    弟の家庭教師  龍 美麗(ゲスト)
今を盛んな劇作家坪田塁先生の作品に敬意を感じていらっしゃる役者さん達は
いつもはどこかにアドリブを入れて笑わせたりするのですが、昨日も今日も
一切無く、むしろ緊張されてる様子でした。
お芝居が終わって口上挨拶の時、美麗さんが「娘が良くつまずくシーンが有るのは、
脳の病気のせいなんですね。」と言われて、何の情報も無い娘のつまずく所作が

不思議だったのですが、そうだったのか!と気付かされて、改めてストーリーの全容が理解出来て、夜の部の4回目が待ち遠しくなりました。
4回目
配役  武家の娘    橘大五郎
    弟の家庭教師  龍 美麗
この会の主役橘大五郎さんが「願わくば桜の木の下で」の曲をモチーフにして
脚本をお願いしたと言われる「ひとひら、朧」のお芝居は、大衆演劇界でも芸達者な
人気役者を揃えて味わい深いお芝居であれば、4回続けて観ても飽きないと言う
経験をさせて貰いました。
ラストシーンで息を引き取った娘の手を取って、「いつも僕を選んでくれた、、、」
彼の言葉でこの作品の純愛ストーリーを物語っていると思います。

久し振りのブログを書きたい衝動に駆られたお芝居でした。

 



 

 

 

 

 

 

直感で得た職業

インスピレーション、霊感、直感、こういった精神的な働きも、
スピリチュアルの領域になるのでしょうか。
私が40有余年働き続けた仕事も、出発点は或る直感によるものでした。

二人の子供が小学校に入って毎日の多忙な日々に余裕が出来た頃、
近所の奥さんが見知らぬ人を連れて訪ねてこられました。
自由な時間を働きませんか?と言うものでかなり頻繁に通って来ました。
D生命保険セールスの勧誘でした。
1968年10月の事ですが、当時保険そのものが余り普及して無くて、
全保険普及率は90%位だったと思います。
私自身全く無知だったから余りの熱心さに負けて、少しお話を聞いても
良いかなと、事務所に付いて行きました。
こじんまりした事務所に足を踏み入れた瞬間目に飛び込んできたのは
壁に大きく張られた赤い棒線グラフの存在でした。
会社説明を聞き、その棒線グラフの成り立ちをじっくり聞きました。
グラフの下に50名程並んだ名前の中に私の名前を入れて貰ったら、
私はあの赤い棒線をどこまで伸ばせるだろう?
「やってみよう!」 瞬間入社を決めていました。

未だ未だ女性が働くには世間の目が厳しい時代でしたから、
案の定夫とのせめぎ合いが続きました。
気まぐれで一瞬の判断で決めた職業を、紆余曲折を経ながら
四十数年働き通しました。天職だったと思って居ます。
私が携わった時代と、現在の働き方が大きく変わった今に通用する
話ではないけど、人間の本質は変わらないのではないかと思います。

保険セールスを始めてから、仕事を手短にスムーズにこなす手段を
いち早く見つけました。
それは氏名、生年月日がキーワードで、姓名判断、四柱推命、と言った
本を買って勉強しました。
保険を勧めるとき、本で調べて居た人柄をおよその見当を付けていくので、
交渉がスムーズに進みました。

勉強していて驚きました。人は自然に生れて、其の後に色々愛しい
子供のために頭をひねって一番良い名前を付けてあげます。
名前は「姓名判断」 生年月日は「四柱推命
この二つの内容が全く同じなのです。
やはり人智を超えた何かが存在するのでは無いかと思います。

次は「市川雷蔵」の一目惚れ?について書きます。