市川雷蔵&大衆演劇

昨年9月に次は「市川雷蔵の一目惚れ」について書きます。と
予告しながら5ヶ月も休んで仕舞いました。
先月東京浅草で大衆演劇を鑑賞してから目が覚めた感じです。
私が大衆演劇にハマってから既に足かけ15年にも及びます。
そのきっかけが市川雷蔵フアンの延長線上にあるからです。

既に没後54年の市川雷蔵は1960年~70年台の映画全盛時代に大活躍
された大映京都撮影所の人気俳優さんです。
たまたま招待券を頂いて入った映画館で「次男坊烏」の主演市川雷蔵
を観て一目惚れ。洋画しか観なかった娯楽は雷蔵主演の映画漁りと
変わりました。
未だ20代のの若さで貴公子然と大人びた容貌がスクリーンでは変幻自在
に役を演じていらっしゃいましたが、病を抱えていらしたそうです。
映画俳優歴15年の間に150本の映画作品を残されています。
1969年7月17日フジTV「3時のあなた」司会の森光子さんが雷蔵さんの訃報を
告げられた日のことを、今でもはっきり覚えています。
それからはあらゆる手を尽くして150本の映画をカセットテープに
(当時はそれしか無かった)収集しました。

それから40年、又々大衆演劇フアンの友達にしつこく勧められ、渋々
入った劇場の雰囲気に一目惚れ!!
カセットテープとおさらばしました。
大衆演劇も時代劇物を主に上演されますが、雷蔵も時代劇スターでしたから、
出し物が同じ物が出ると、つい比較して仕舞います。
其の1 沓掛時次郎」
ラストシーンで金子を稼いで勇んで帰ってきた時次郎は殺されたお絹を
抱き起こし「お絹さん、お絹さん、、、、お絹」
最後の小さな声で呼び捨てにした気持ちの吐露が泣かせました。
一度も好きだと言った台詞も所作も無い芝居です。映画と舞台では
表現の仕方も違うと思いますが、どちらも観客の琴線ににふれるような
感動を望んでいます。
私が拘わった15年の大衆演劇界も徐々に変化していき、あと少し表舞台に
出張ってくれば良いなと思っています。
私が一筋に応援している橘大五郎座長は若干29歳で九州演劇協会会長を
担って早7年経ちました。大五郎座長の無二の親友龍美麗座長も粋心会会長
等若い役者さん達が結束して変化をもたらす時代が来ていると思います。

旅行もゴルフもそして仕事も悔いなく過ごしてきて、今は観劇に
どっぷりつかって楽しんでいます。

雷蔵終焉と大衆演劇進出の間には韓国ドラマの世界を経験しています。
次は韓国ドラマ、、かな?