阪神淡路大震災

1月17日は私達関西人にとっては一生忘れられない日です。
1995年1月17日5時46分未だ起床時間でなかったので、熟睡を
叩き起こされた瞬間でした。震源地より遠い我が家は棚の花瓶が
落ちたくらいで済んだので、TVで物凄さを知ったのでした。
何日か経って電車とバス、歩き、と顧客のお見舞いに
神戸に向かい、三宮のそごうデパートが千切れたような残骸を
露呈した姿を見た時、ゾーッとして蹲ってしまいました。
若い女事務員さんは二階にに寝ていて、ドンと大きい音と共に
一階に布団毎落ちた、、
豪邸の社長さんはベッドから振り落とされないように
しがみついていた、、色々悲惨な話が途切れません。
 我が社の被災者の対応は素早かった。それが誇りでした。

震源地に最も近い[灘校]は建物にはさほど被害が無かったそうで、
急遽講堂は被災者の避難所として、又体育館は霊安室として
提供されたそうです。
講堂の入り口の敷石に薄黒い跡が残っています。
被災者の方がたき火をした跡だと説明を受けました。


たった一人の孫が念願の灘中学校に入学して、それから高校と
6年間学んだ有名校の姿を、お婆の目で見た感想を
次回書いてみたいと思います。

f:id:amaryllis0525:20220117092913j:plain