お雑煮談義


お正月も三日を過ぎれば普通の生活に戻る感じがします。
正月と言えば元旦から15日の小正月と言われる期間、
色々な行事が組まれています。
門松、注連縄飾り、鏡餅、おせち、お雑煮、七草粥、etc,
今は簡略されてる物もあり、昔の風情は少なくなりつつ有ります。
でもお雑煮だけは厳然と存在してる様に思います。
古来お餅は日本人にとってめでたい食べ物だったそうです。
その餅に色々加えて煮た物が雑煮と言われ、関西から白味噌仕立で
始まったそうです。 今は各地方でそれぞれ特徴を持ち、
自分の故郷の雑煮に愛着を持っています。
我が故郷鳥取は全国でも珍しい雑煮が「ぜんざい」風なんです。
小豆の煮汁に少し砂糖を入れほのかに甘くしてその中に丸餅を入れます。
間違っていたらごめんなさい。
私が聞きかじりで覚えているのは、、「鳥取城の飢え殺し」
1581年羽柴秀吉軍に攻められた時、毛利家の家臣だった吉川経家
鳥取城を任されていた。鳥取城は籠城戦に入りやがて食べ物が潰えた時、
城内に「ささげ」と言う小豆に良く似た植物を植えて作り、
飢えをを凌いだといわれます。
最後は城兵の命と引き替えに城将吉川経家は自刃して果てました。
この薄幸な城将を慕っていた民が、「ささげ」を繋いで行ったそうです。ささげから今では小豆に代わっていますが、伝統として雑煮は変わっていません。小さい街ながら「武士は食わねど高楊枝」の孤高の精神を保っているのはこの経家城主の影響なのかなと感じています。
私が高校時代に経家の墓所にお参りして聞いたお話です。
長いこと食べていませんが、懐かしい故郷のお話でした。